世界大百科事典(旧版)内のマプチェ族の言及
【アラウカノ】より
…チリ中部の土着民族の総称。南緯30゜から43゜のあたりに居住し,ビオビオ川以北はピクンチェ族,以南にはマプチェ族とウィリチェ族がいた。温暖な気候に恵まれ,アンデス文明の影響で農耕と家畜飼育を生業として,大きな人口を擁した。…
【チリ】より
…【細野 昭雄】
【歴史】
[植民地期から独立まで]
チリは1541年ペドロ・デ・バルディビアによるサンチアゴ市の建設とともに,スペインの植民地となった。しかし,自然環境は厳しく,南には独立心の強いマプチェ(アラウカノ)族の抵抗があったため,征服・植民事業は困難を極め,植民地時代のチリの領域はコンセプシオンが南限であった。またチリには金などの天然資源が少なかったため,農業,牧畜業が経済の中心となり,17~18世紀には土地貴族が発生した。…
※「マプチェ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」