マリニャーノの戦(読み)まりにゃーののたたかい

世界大百科事典(旧版)内のマリニャーノの戦の言及

【イタリア戦争】より

…しかし,これに対して,フランスの進出を嫌うベネチアなど北イタリア諸国,スペイン,神聖ローマ皇帝,ローマ教皇ユリウス2世,イギリスが同盟を結んだため,シャルルはイタリアからの退却を余儀なくされた。後を継いだルイ12世やフランソア1世もイタリア攻略の政策を受け継ぎ,フランソアはベネチアと組んでミラノを攻め,マリニャーノの戦(1515)に大勝した。しかし,神聖ローマ皇帝の位をめぐり,ヤーコプ・フッガーの財力に支えられたスペイン王カルロス1世(のちの皇帝カール5世)と争って敗れ(1519),やがて再開された戦闘でもパビアの戦(1525)に大敗,マドリードに捕らわれの身となった。…

※「マリニャーノの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む