世界大百科事典(旧版)内のマリリン・モンロー・プロの言及
【モンロー】より
…54年には《帰らざる河》《ショウほど素敵な商売はない》,55年には《七年目の浮気》が公開され,またこの間プロ野球のヒーローだったジョー・ディマジオとの結婚・離婚によっても話題をにぎわした。 しかし,モンロー自身はフォックスの企画と型にはまった役柄に反発してニューヨークで〈マリリン・モンロー・プロ〉を設立,〈アクターズ・スチュディオ〉のリー・ストラスバーグのもとで個人的に演技指導を受け,《カラマーゾフの兄弟》のヒロイン,グルシェンカを演ずることを夢に描いた。その後,私生活の乱れと撮影での遅刻常習をめぐって作品ごとにトラブルを繰り返し,62年には,《荒馬と女》(1961)につづいて製作されていた《女房は生きていた》からおろされて,そのしばらくのち,ロサンゼルスの自宅で裸体のまま死体となって発見された。…
※「マリリン・モンロー・プロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」