世界大百科事典(旧版)内のマリー・ルイーゼの言及
【フランツ[2世]】より
…ナポレオンに敗れて1804年ハプスブルク家世襲領をオーストリア帝国に再編,06年神聖ローマ帝国は解体する。10年娘マリー・ルイーゼMarie Louise(1791‐1847)をナポレオンに嫁がせ帝国の温存を図ったが,ウィーン会議後は官僚と軍隊の頂点にあってメッテルニヒに政治をゆだね,正統主義による反動的役割を果たした。【進藤 牧郎】。…
※「マリー・ルイーゼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」