マルティネス・カンポス,A.(読み)まるてぃねすかんぽす

世界大百科事典(旧版)内のマルティネス・カンポス,A.の言及

【スペイン】より

…そのため,労働者階級による騒乱の要因はつねに存在し,以後,経済危機や政治不安の際には必ず表面化した。
[公式のスペインと現実のスペイン]
 王政復古を意図した保守派の政治家が支援を受けて,まず1874年1月2日に,パビア将軍(1827‐95)がマドリードで蜂起し,同年12月,サグントでマルティネス・カンポスArsenio Martínez Campos将軍(1831‐1900)のクーデタが勃発したため,第一共和国は直ちに倒れ,その結果,アルフォンソ12世(在位1874‐85)が新国王となり,王政が復活した。そして,74年以降の王政復古期の舵は保守派の領袖カノバス・デル・カスティリョの掌中に握られた。…

※「マルティネス・カンポス,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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