世界大百科事典(旧版)内のマーン家の言及
【ドルーズ派】より
…この集団の社会組織はその宗教組織とは別に発展し,ことにオスマン帝国下で一定の自治権が認められた結果,アミールまたはハカムと呼ばれる政治的首長やジュッハールに属する在地の名士の役割を大きくした。レバノンではファフル・アッディーン2世に代表されるマーン家が指導権を握り,18世紀以降シハーブ家がこれに代わった。19世紀にはドルーズ領主たちはイギリスの援助を得て,フランスに支援されるマロン派と激烈な宗派紛争を繰り返し,1860年のフランスの軍事干渉を招いた。…
【ファフル・アッディーン[2世]】より
…レバノンのドルーズ派の名望家マーンMa‘n家に属するアミール(太守)。マーン家は祖父の代からレバノン南部の山岳部一帯の支配権を握っていたが,ファフル・アッディーンは政略に優れ,オスマン帝国中央政府の有力者たちと結び,クルドなどの政敵を次々と倒して,沿岸部を含むレバノン一帯の統一的支配をなしとげた。さらに全盛時(1630ころ)には,北はシリア北部から南はパレスティナにまでレバノンの勢力を伸張した。…
【レバノン】より
…正式名称=レバノン共和国al-Jumhūrīya al-Lubnānīya∥Republic of Lebanon面積=1万0230km2人口(1996)=377万人首都=ベイルートBeirut(日本との時差=-7時間)主要言語=アラビア語通貨=レバノン・ポンドLebanese Pound地中海東岸にある共和国,およびその地域の名称。アラビア語ではルブナーンLubnānと呼ばれる。
【自然,住民】
シリア・アラブ共和国とイスラエルの両国と国境を接する岐阜県ほどの面積で,山岳・高原が国土の過半を占める。…
※「マーン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」