世界大百科事典(旧版)内のミト文化の言及
【コトシュ】より
…遺跡の中心をなすコトシュ(ケチュア語で〈石の小山〉の意)は径約100m,高さ14mを超え,十数層にわたる生活遺構が認められ,構築,修復,廃絶を繰り返す7文化期が知られる。最も重要なものは最下層の土器を伴わない神殿遺構群で,階段で結ばれるテラスに独立して建てられ,なかでもシンボリックな〈交差した手〉の男女対のレリーフを壁龕(へきがん)に飾った9m×9m×2mの主神殿はミト文化と命名され,すでに世界に知られている。中央アンデス文化史上で,三つの節目をなすチャビン,ティアワナコ,インカの3文化の最初であるチャビン文化(前900年ころ)の生成に関連して,ペルー考古学の父J.C.テーヨはすでにコトシュ遺跡の重要性を説いていたが,泉靖一を団長とする東京大学アンデス地帯学術調査団は1960,63年の2回,大規模発掘調査を行い,予測を実証するとともに先行する無土器神殿文化(ミト文化)の存在を新しく確認した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」