ミミ・パンソン音楽院(読み)みみぱんそんおんがくいん

世界大百科事典(旧版)内のミミ・パンソン音楽院の言及

【シャルパンティエ】より

…師マスネーの抒情的な作風にワーグナーの示導動機法,半音階法も加味して,ロマン主義と現実主義の混ざり合ったオペラを作曲した。勤労女性のための〈ミミ・パンソン音楽院L’œuvre de Mimi Pinson〉を1902年に設立し,また〈民衆劇場〉を計画したが,後者は挫折した。12年マスネーの後任として芸術アカデミー会員となる。…

※「ミミ・パンソン音楽院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む