世界大百科事典(旧版)内のミーニンとポジャルスキーの言及
【モスクワ】より
…雷帝イワン4世の恐怖政治によって貴族たちもツァーリに屈従させられた。 リューリク朝断絶後の17世紀初頭のスムータ(動乱)の時代にモスクワはポーランド軍によって占領されたが,1612年ミーニンとポジャルスキー公の率いる国民軍によって解放され,その翌年にはゼムスキー・ソボル(全国会議)で選ばれたロマノフ朝が成立する。17世紀にはマニュファクチュアが発展し,西ヨーロッパの商人や技術者でモスクワに来住する者が増加して郊外にドイツ村ができるほどであったが,市内の家屋の大部分は木造で,空地も多く畑や草地が見られたので,この時期に西ヨーロッパから訪れた旅行者はモスクワを〈大きな村〉と呼んだ。…
※「ミーニンとポジャルスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」