世界大百科事典(旧版)内のムルデカの言及
【インドネシア】より
…こうして共産党が壊滅した後に民族運動の表舞台に登場するのは,オランダから帰国した留学生を中心とする知的エリート層である。彼らは27年にスカルノを党首とするインドネシア国民党を結成し〈ムルデカ(独立)〉の合言葉に象徴される民族主義を鼓吹した。民族主義精神の高揚は翌28年10月に〈青年の誓い〉が採択されて,インドネシアというただ一つの祖国・民族・言語が高らかに宣言されたことにもよく示されていた。…
【インドネシア国民党】より
…国民党の指導層は,オランダから帰国した留学生や植民地の高等教育機関の卒業生を中心とする知的エリートから構成され,ジャカルタ,バンドン,スラバヤなどのジャワの大都市を活動の拠点とした。29年末にスカルノらの指導者が逮捕されたため,31年には解散したが,3年足らずの活動を通じて〈ムルデカ(独立)〉のスローガンは広く民衆の間に浸透し,スカルノの民族主義者としての名声は大いに高まった。それは1910年代から20年代前半にかけて民族主義運動を主導したイスラムや共産主義に代わって,ナショナリズムがそれらのエネルギーを吸収して新たなシンボルとして出現したことを意味し,インドネシアという一体性が強く意識され始めたことを示していた。…
※「ムルデカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」