世界大百科事典(旧版)内のメキシコ・ドルの言及
【銀】より
…17世紀初めまでにヨーロッパでは物価が2~6倍ほど上昇した(価格革命)が,大量のアメリカ銀の流入もその原因の一つである。スペインのペソpeso銀貨(スペイン・ドル,メキシコ・ドルと呼ばれる)の鋳造額は,とくにメキシコに鋳造局が設立(1535)されると飛躍的に増加した。これは南北アメリカとヨーロッパで広く流通したばかりでなく,大幅な輸入超過の対アジア貿易の支払手段として大量にアジア諸国へ流出した(洋銀)。…
【洋銀】より
…1858年(安政5)6月日米修好通商条約が調印され,ついで日蘭,日露,日英,日仏との各条約も結ばれ,日本の商品を外国貨幣で購入することを認めたので,翌年5月の開港を契機として洋銀が流入した。その大部分はメキシコ・ドルであったが,イギリス,アメリカ,フランスなどの諸外国の洋銀も含まれていた。当時,内外金銀比価は著しく不均衡で,日本では銀貨に比べて金貨の価値が低く評価されていたので,これに着目した外国商人は洋銀を持ち込んで日本の一分銀に替え,これを小判,一分金と交換して海外に輸出し莫大な利益を上げた。…
※「メキシコ・ドル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」