メフメトアリー朝(読み)メフメトアリーちょう

世界大百科事典(旧版)内のメフメトアリー朝の言及

【ムハンマド・アリー朝】より

…1805‐1953年。メフメト・アリー朝ともいう。その公式な政体は,1914年まではオスマン帝国の属州(統治者の正式名称はワーリーwālī,1867年以後ヘディーウ),1914年から22年まではイギリス保護国(同,スルタン),そして22年以降は王国(同,マリク)。…

※「メフメトアリー朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む