《モスクワ人》(読み)もすくわじん

世界大百科事典(旧版)内の《モスクワ人》の言及

【キレエフスキー兄弟】より

…32年に雑誌《ヨーロッパ人》を主宰して巻頭論文《19世紀》を書き,キリスト教世界としての西欧とロシアとの一体化を説いたが,この欧化主義を立憲主義と解釈した当局により,雑誌は2号をもって停刊,本人も蟄居(ちつきよ)を命ぜられた。しかし,その後思索を深め,《ホミャコーフに答えて》(1838)によりスラブ派の思想家として再登場,45年《モスクワ人》誌の編集に従事(1~3号)したが,再度政府の忌諱(きい)に触れ,引退した。彼の数少ない論文のうち,《哲学にとっての新しい原理の必然性と可能性について》(1856)は,スラブ派哲学の精髄を示す。…

【スラブ派】より

…他方彼らは理性の専横を排し神への恭順を旨とする正教信仰をロシア精神の本質とみなし,共通の信仰を内的きずなとした共同体的生活原理が,ピョートル大帝の欧化政策にもかかわらず農村共同体の中に保持されていると考え,ピョートル以前のロシアに立ち返ることにより社会の一体性と人格の全一性とを回復するように訴え,ここにロシアの世界史的使命があると説いた。家父長的な人間関係を理想とした彼らは,ツァーリの支配そのものは認めたが,西欧的な官僚支配には批判的であったため,時の政府からは常に迫害を被り,彼らが依拠していた《モスクワ人》誌は停刊を命ぜられ,I.V.キレエフスキーをはじめ,おもな思想家たちも沈黙を強いられた。中世的調和への郷愁を基調とする彼らの思想には,ドイツの保守的ロマン主義と共通点が多く,概して,近代市民社会の暗黒面を目のあたりにした,後発的資本主義国に固有な復古的ユートピアの一種と規定することができる。…

※「《モスクワ人》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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