世界大百科事典(旧版)内のモントネロスの言及
【ペロニスモ】より
… しかしながらペロンは,労使協調を唱えて運動内部における労働勢力の強大化を好まず,46年には単一革命党(1947年にペロニスタ党と改称)を結成して労働党を事実上解体に追い込んだ。以後ペロニスモの勢力はおもにペロニスタ党とペロニスタ系労働者の牛耳る労働組織(とくに労働総同盟CGT)によって支えられてきたが,55年のペロンの失脚後,軍部との激しい抗争の中でペロニスモはしだいに左傾化し,とくに60‐70年にかけペロニスタの一部は,モントネロス(1968設立)などのゲリラ組織を形成して軍政(1966‐73)を脅かした。ペロニスモを政治の枠外においておくことの非を悟った軍部は,73年3月ペロニスタの参加を認めた選挙を実施するが,この選挙で勝利したカンポラHéctor José Cámpora(1909‐80)は,ペロニスタ左派の意向に沿った政策を進めたため,ペロンを中心とする中間派・右派の反発を招き,73年9月の大統領選を経てペロンみずからが大統領に返り咲き,穏健路線への転換を図った。…
※「モントネロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」