世界大百科事典(旧版)内のヤイツキー・ゴロドクの言及
【ウラリスク】より
…農業地帯の中心で,食品・皮革加工,機械製造業,船舶修理業がみられ,教育・農業の2大学がある。この町は,16世紀末ヤイク・コサックによって基礎をおかれ,ヤイツキー・ゴロドクと呼ばれたが,ノガイ・タタールに破壊された後,1613年ウラル川下流50kmの現在の場所に移された。ラージン,プガチョフの農民戦争の中心地の一つで,1775年エカチェリナ2世によってウラリスクと改称され,アストラハン県に編入された。…
※「ヤイツキー・ゴロドク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」