世界大百科事典(旧版)内のヤショーダラプラの言及
【アンコール朝】より
… アンコール朝は,群雄割拠状態の国内を統一し,802年に登位したジャヤバルマン2世に始まる(インドラバルマン1世の877年から,あるいはヤショーバルマン1世の889年から,という説もある)。ヤショーバルマン1世(在位889‐910ころ)はアンコールに1辺4kmの環濠都城を造営し,王にちなんでヤショーダラプラと呼称した。以後,諸王がこの地に新王都,寺院などを次々に建設し(928‐944年,コーケーに一時遷都した),その都城址が現在のアンコール・トムである。…
【カンボジア】より
…
[アンコール時代]
アンコールの地に王都を定め,約550年にわたり都城と寺院を次々と造営し続けた時代で,それらがアンコール遺跡にあたる。ヤショーバルマン1世(在位889‐910ころ)は小丘プノンバケンを中心に一辺4kmの方形環濠都城を最初にこの地に建設したので,王名にちなんで王都を以後ヤショーダラプラと呼称した。当時のクメール族の伝統的な居住地域は,北は現タイのコーラート高原のムン川流域から,南はメコン川デルタ地帯(現,ホー・チ・ミン市付近)までの範囲であった。…
【真臘】より
…同王の登位以前を前アンコール時代という。ヤショーバルマン1世(在位889‐910ころ)はアンコールに最初の王都ヤショーダラプラを造営し,以後真臘の諸王は近隣を征服してこの地に次々と都城,大寺院を建設し,発展隆盛をきわめた。スールヤバルマン2世(在位1113‐50ころ)はアンコール・ワットを建造し,インドシナ半島のほぼ全域を版図としたジャヤバルマン7世(在位1181‐1218ころ)は,今に残るアンコール・トムを建設し,その時代は真臘の最盛期であった。…
※「ヤショーダラプラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」