世界大百科事典(旧版)内のユカタン・マヤ様式の言及
【チチェン・イッツァ】より
…メキシコ,ユカタン州にあるマヤ文化の遺跡。チチェンは〈井戸のほとり〉,イッツァは〈水の魔術師〉を意味するマヤ語である。その名が示すように,天然の井戸〈セノーテ〉を中心に,この町の歴史は展開した。遺跡は3km×2kmの広域にわたり,先古典期からの文化層も見つかっているが,6世紀ころから,プーク様式という,モザイク彫刻で建物の上半分を装飾する建築様式による建造物複合体がいくつか建設され,町は栄え始める。…
【マヤ文化】より
…そして,伝承にいう大移動が始まり,北部地域をも混乱に巻き込んでいく。北部地域では,この混乱の中から10世紀中葉のメキシコ中央高原などの影響を受けつつ〈ユカタン・マヤ様式〉を誕生させる。チチェン・イッツァを中心としたこの文化は,1200年ころマヤパンが政治的主導権を握ることで退廃期を迎え,15世紀にはそのマヤパンも内部分裂で自滅した。…
※「ユカタン・マヤ様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」