ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨガイラ」の意味・わかりやすい解説
ヨガイラ
「ウワディスワフ2世ヤギェウォ」のページをご覧ください。
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…ところがルドビクも男子に恵まれず,彼は娘のいずれかにポーランド王位を確保すべく,コシツェでシュラフタに最初の特権を約束した(1374)。82年ヤドビガJadwiga(1371‐99)が国王に選ばれ,ポーランドと同じくドイツ騎士団の脅威に直面していたリトアニア大公ヨガイラJogailaとの結婚が決定され,86年ヨガイラはブワジスワフ・ヤギエウォWładysław Jagiełłoとしてポーランド王となった。ヤギエウォ朝の始まりである。…
…15世紀後半~16世紀におけるヨーロッパ最強の王家の一つである。 リトアニア大公ヨガイラJogaila(ポーランド名ヤギエウォ)は,1386年にピアスト朝最後の君主ヤドビガ女王Jadwigaと結婚し,新王朝を創始,ブワジスワフ2世Władysław II Jagiełłoと名のる。ヨガイラはリトアニア大公位を従弟ビータウタスVytautasに譲ったが,両国の同君連合はカジミエシュ4世Kazimierz IV Jagiellończykの代に復活し,アレクサンデル以後恒久化する。…
…これに伴いこの国では東方正教徒の東スラブ系住民の比重が高まり,〈ルスカヤ・プラウダ〉の通用,公用語としてのベラルーシ語の使用など,ロシア化が進んだが,同時にドイツ商人が進出し,のちに大きな問題になるユダヤ人の移住も始まった。 1386年,アルギルダスの子ヨガイラJogaila(1350ころ‐1434)がカトリックの洗礼を受けてポーランド王(ブワジスワフ2世Władysław。在位1386‐1434)を兼ね,リトアニアのカトリック化,ポーランド化のもとを置いたが,彼のもとで大公になったいとこのビータウタス(在位1392‐1430)は,ほとんど独立の君主として行動し,1410年のグルンワルトの戦でドイツ騎士修道会の脅威を除く一方,タタールに対する大規模な十字軍,スモレンスク公国の併合,モスクワ公国の内乱への干渉など,積極的な東方政策を展開した。…
※「ヨガイラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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