ラクダの戦(読み)らくだのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のラクダの戦の言及

【アリー】より

…第3代カリフ,ウスマーンの殺害者たちに推されてカリフを宣言したが,もろもろの対抗勢力との抗争で精力を使い果たし,結局彼の理想を実現することなく生涯を終えた。すなわち,656年12月,ムハンマドの未亡人アーイシャとクライシュ族の有力者ズバイルおよびタルハとの連合軍をバスラ近郊で破り(ラクダの戦),クーファを首都としたものの,ウスマーンの血の復讐を求めるシリア総督ムアーウィヤ1世の反抗にあい,これを討つべくユーフラテス川を上った。657年7月シッフィーンの荒野で決戦を挑んだが勝敗決せず,調停によって事態の収拾を図ったが,結局失敗し,661年2月この調停の過程でアリーと袂を分かったハワーリジュ派の一人,イブン・ムルジャムIbn Muljam(?‐661)に暗殺された。…

※「ラクダの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む