ラジビウ家(読み)らじびうけ

世界大百科事典(旧版)内のラジビウ家の言及

【リトアニア】より

…ブワジスワフ2世で始まったポーランドとの王朝連合のもとで国制もポーランド化した大公国は,リボニア戦争中のルブリンの連合(1569)で,形式的には対等ながら事実上ポーランドの従属領となり,またこの時ウクライナをポーランドに譲った。この後も16世紀末の教会合同に対する東部の東方正教徒の反発,17世紀中葉のスウェーデンの侵入の際のリトアニアの名門ラジビウ家Radziwiłłowieによる分離運動などがみられたが,1569年以後大公国はおおむねポーランド王国と運命をともにし,ポーランド分割で解体した。(2)19~20世紀 大公国領のうちリトアニア本土は,1795年の第3次ポーランド分割で大部分がロシア領,ナムナス川以西がプロイセン領となったが,後者はナポレオン戦争後のウィーン会議でロシア主権下のポーランド王国に入った。…

※「ラジビウ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む