世界大百科事典(旧版)内の《ラステリャーエワ街の風俗》の言及
【ウスペンスキー】より
…いとこの作家ウスペンスキーNikolai V.Uspenskii(1837‐89)の影響もあって,1862年に作家活動に入る。ゴーゴリ以来の自然派のリアリズムの伝統をひきつぎ,農村や都会の片隅に生きる下層民の悲惨な生活を描いた《村の出合い》(1865),《ラステリャーエワ街の風俗》(1866),《零落》(1869)などの作品を,当時の民主派の雑誌に発表し,高い評価を受ける。70‐80年代には,N.K.ミハイロフスキーをはじめとするナロードニキ思想家たちと交わり,農奴解放後の民衆の生活の実態を調査すべく,多くの地方を遍歴,セルビア,ブルガリアにまで赴いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」