世界大百科事典(旧版)内のラマルティーヌ,J.H.F.の言及
【オリエンタリズム】より
…文学においては,ガランによる《千夜一夜物語》の翻訳(1704‐17),モンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ボルテールの《マホメット》(1741)などがその早い例で,啓蒙主義的文明批評のにおいが強かったが,しだいにエキゾティシズムに傾いてゆく。ユゴーの《東方詩集Orientales》(1829),ラマルティーヌの《東方紀行》(1835)などがロマン主義文学者による代表例である。音楽では,モーツァルトの《後宮よりの誘拐》(1782)のトルコ趣味が早い例で,後にはベルディの《アイーダ》(1871初演)のような,エジプト風俗に関してかなり歴史的考証を経たものも見られる。…
【ロマン主義】より
…その華々しい側面においては古典悲劇形式の打破という演劇運動の観を呈したが,他の分野においても根底的な変革をもたらした。1820年のラマルティーヌの《瞑想詩集》から始まるロマン派の抒情詩の創作は,題材,語彙,詩型に関するあらゆる規制から詩を解放し,多種多様な革新と実験を試みるべき創造的な個性の表出の場として詩と詩作を方向づけた。小説の分野においても,情熱的な人間像の創造と同時代の社会の精確な描写を特徴とするスタンダール,バルザック,サンドらの社会小説が生まれる一方で,ドイツ文学の影響下にノディエ,ネルバル,ゴーティエらの幻想的な小説が創作された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」