世界大百科事典(旧版)内のランゲ,K.の言及
【映画】より
…その生まれ育ちのいかがわしさと〈大衆の好みに応じて提供された下品な献立〉(1900年前後には,すでに《七年目の浮気》のマリリン・モンローさながら強風にスカートを吹き上げられる女性を撮影しただけの《ニューヨーク23番街で起こったこと》とか,裸の少女の水浴びを撮影した《水の妖精》とか,《裸のぶらんこショー》や《コルセット・モデル》《パジャマ・ガール》《体操する娘》等々といったエジソンの映画が客を集めた)のために,産業として成長し大衆娯楽として定着しても,なお低俗な見世物という〈怪しげな素性〉をひきずったままであった。表現主義映画の〈芸術的〉名作として映画史に輝く《カリガリ博士》(1919)が作られた後でさえ,ドイツの哲学者であり美術史家であるK.ランゲはその著《映画――その現在と未来》(1920)で,〈映画〉を〈写真〉と〈運動の再現〉の二大要素に分析し,自然の機械的再現にすぎない写真には絵画と違って人間の精神作用の関与する余地がなく,運動を機械的に再現するだけの映画には動きのイリュージョンを与えることがないことをもって,〈芸術性がない〉と断じ,映画は純粋芸術として絵画などの諸芸術に比較されるべきものではなく,単にもろもろの見世物に比較されるべきものであると論じたほどであった。
【映画芸術の本質論】
しかし,他方では,時間と空間の運動を映像に記録し再現する〈映画の原理〉に,いち早く注目していた〈20世紀〉の哲学者や芸術家たちもいた。…
【芸術学】より
…論者も多いが,グロッセErnst Grosse(1862‐1927)は個々の特殊問題から芸術の普遍的本質を導くべきとして,人類学的方法にもとづく研究を提唱し,みずから原始民族の芸術を扱って社会現象としての側面に重点を移した。心理学的方法によるランゲKonrad Lange(1855‐1921)は,美は作用の点であいまいさをとどめぬ芸術に即して研究すべきとし,意識的自己欺瞞(ぎまん)たる幻想(イリュージョン)を説く独自の芸術論を美学として展開した。他方デソアールMax Dessoir(1867‐1947)は美と芸術とは双方の範囲が合致せぬことを重視し,美学と並ぶ〈一般芸術学allgemeine Kunstwissenschaft〉を主張,個々の芸術にはそれぞれ体系的特殊芸術学が成立するが,これら諸学の前提,方法,目的を吟味して重要な成果を総括し比較することを一般芸術学の課題とした。…
【サイレント映画】より
…つまり,映画が物語をものがたる独自の〈ことば〉と〈文法〉と〈修辞〉をつくりだし,映画芸術の基礎である〈モンタージュ〉を発見したのである。戦後の混乱したドイツに生まれた〈表現主義〉の映画《カリガリ博士》(1919)が世界の注目を浴びたころ,ドイツの哲学者コンラート・ランゲは《現在および未来における映画》(1920)の中で,芸術は〈静〉で〈動〉を表現するというイリュージョンで成り立つものであるから,映画が〈動く画面〉を基礎とするかぎり芸術とは無縁であると映画の芸術性を否定したが,20年代を通じて世界の各国で〈サイレント映画〉の芸術性が追究された。例えばフランスでは,アベル・ガンスが《鉄路の白薔薇》(1923)をつくり,グリフィスのモンタージュを視覚的なリズムによる心理的なモンタージュに発展させ,カール・ドライヤーは《裁かるるジャンヌ》(1928)で大胆なカメラアングルと,クローズアップを最大限に活用したモンタージュでそれまでの常識を破り,〈サイレント映画〉形式の一つの頂点を示した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」