ラージェーンドラ(読み)らーじぇーんどら

世界大百科事典(旧版)内のラージェーンドラの言及

【チャールキヤ朝】より

…歴代の王はラーシュトラクータ朝と抗争し,支配が一時中断したこともあったが,チョーラ朝のラージャラージャ1世の援助で再興した。以後婚姻を通じて1070年に両王朝が一つとなり,東チャールキヤ朝のラージェーンドラ2世Rājendra IIは,クロットゥンガ・チョーラ1世Kulottunga Chōḷa Iとして,空位となっていた母方のチョーラ朝の王位に就いた。以降アーンドラ地方は,チョーラ朝の一地方として太守支配が行われ,この地をめぐってカルヤーニのチャールキヤ朝と抗争が繰り広げられた。…

※「ラージェーンドラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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