世界大百科事典(旧版)内のラージャサ王の言及
【シンガサリ】より
…建国者ケン・アンロック(アンロ)は卑しい身分の出であったが,胆力と策略にたけ,トゥマーペル地方の領主トゥングル・アメトゥンの妻デデスと通じて1220年に領主を暗殺し,代わって領主となった。そして2年後にはクディリ朝最後の王クルタジャヤをガンテルの戦で敗死させてシンガサリ朝を開き,ラージャサ王と改名した。しかし,わずか5年後にデデスと先夫トゥングル・アメトゥンとの間に生まれた男児が復讐のため彼を暗殺し,第2代アヌーサパティ王として即位した。…
※「ラージャサ王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」