世界大百科事典(旧版)内の《リウィウス論》の言及
【マキアベリ】より
…1512年共和国がメディチ家によって打倒されると,マキアベリは危険人物として職を追われ,フィレンツェ郊外に隠棲を余儀なくされた。有名な《君主論》(1532)をはじめ,《リウィウス論》(1531),《マンドラゴラ》(1524)などの作品はこの不遇の時期に執筆された。この間も彼はイタリアをめぐる政治情勢に関心を向け,また《君主論》にみられるようにメディチ家への接近を開始する。…
※「《リウィウス論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」