世界大百科事典(旧版)内のリャプノフ,P.の言及
【スムータ】より
…10年末から11年初めにかけて解放のための武力闘争を呼びかける檄が現れたが,モスクワ総主教ゲルモゲンGermogenの諸都市への回状も国民に奮起の念を呼び起こした。リャザンの軍令リャプノフProkopii Lyapnov,偽ドミトリー2世から貴族の位を授けられたトルベツコイDmitrii Trubetskoiおよびコサックの首領ザルツキーIvan Zarutskiiの3人を指導者とする第1次解放軍が結成された。しかし,解放軍内部で士族とコサックが対立し,11年7月リャプノフが殺害されて,モスクワ攻略の前に解体した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」