世界大百科事典(旧版)内のリュクサンブール劇場の言及
【コメディ・フランセーズ】より
…69年,ナポレオン3世が劇場創立の自由を認めてからは,新劇場が続出し,劇壇における地位も絶対的ではなくなり,いわば伝統演劇の保持と古典尊重を使命とするに至る。1946年,政令により国立第二劇場である〈オデオン座Théâtre de l’Odéon〉(リュクサンブール劇場)が合体,パレ・ロアイヤル(リシュリュー劇場)では古典劇や世を去った外国作家の作品,リュクサンブール劇場では現代物を上演したが,これも59年にはそれぞれ独立した劇場(団)として再出発した。 60年代以後は,旧態依然たる一座の運営・作品演出法が,演劇の国際化・多様化の波に取り残された観があったが,75年,劇団規定が改善され,気鋭の演出家・若手俳優の登用,レパートリーの見直しなど,徐々に復活の兆しを見せている。…
※「リュクサンブール劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」