《リュミエール工場の出口》(読み)りゅみえーるこうじょうのでぐち

世界大百科事典(旧版)内の《リュミエール工場の出口》の言及

【リュミエール】より

…2人を合わせて〈リュミエール兄弟〉としてもしばしば言及される)の協力をえて,フランスの発明家エティエンヌ・ジュール・マレーÉtienne‐Jules Marey(1830‐1904),イギリス出身の写真家・発明家エドワード・マイブリッジ,それにもちろんエジソンらのアイデアと発明をとり入れた撮影機兼映写機〈シネマトグラフCinématographe〉を開発し,95年に特許を受けた。〈シネマトグラフ〉による最初の作品は《リュミエール工場の出口》であった。 95年12月28日,パリのブールバール・デ・キャピシーヌのグラン・カフェの地下室にある〈インドの間〉で,《リュミエール工場の出口》など10本の作品を初めて有料で観客に見せ(そのなかにはジョルジュ・メリエスもいた),映写時間は約20分にすぎなかったものの,この日が世界の映画(興行)誕生の日となった。…

※「《リュミエール工場の出口》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む