リーニエの壁(読み)りーにえのかべ

世界大百科事典(旧版)内のリーニエの壁の言及

【ウィーン】より

…1529年当時のウィーンは強大な市壁を誇り,12のバスタイ(くさび形の堡塁)と深い堀にかこまれていたが,トルコ軍による危機を脱した後,市の軍事的改造に着手する。まず1683年以降市壁の外周の緑地帯グラシGlacisを拡張し,さらに1704年以降市外区の外縁に〈リーニエの壁Linienwall〉を設ける。すなわち深さ3m幅4mの壕を掘って,その土を高さ4mに積み上げた(この跡が現在の〈ギュルテル〉となる)。…

※「リーニエの壁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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