世界大百科事典(旧版)内のリーミニの黄金印勅書の言及
【ドイツ騎士修道会】より
…ちょうどこのころ,ポーランドのピアスト朝のマソビエン公コンラートからもドイツとポーランドの国境ビスワ川西岸のクルムの地において原住プロイセン人と戦うための招聘をうけていた。総長ヘルマン・フォン・ザルツァは,ハンガリーの経験からこの地に進出するに当たってあらかじめ皇帝フリードリヒ2世から特許状(リーミニの黄金印勅書,1226)を受け,クルムの地を皇帝の高権のもとにおくという保障を得ていた。 1230年にはラントマイスター,ヘルマン・バルクの下でドイツ騎士修道会はプロイセンに進出し,軍事行動とキリスト教への改宗を遂行した。…
※「リーミニの黄金印勅書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」