世界大百科事典(旧版)内の《ルイ大王の世紀》の言及
【新旧論争】より
…古代近代論争とも呼ばれ,2期に分かれる。前期は1687年ペローの国王の頌詩《ルイ大王の世紀》に端を発し,ギリシア・ラテンの古典と当代のフランス文学の優劣をめぐって,ペロー,フォントネル等の近代派と,ボアローを中心とするラ・フォンテーヌ,ラ・ブリュイエール等の古代派が対立。94年にアルノーの仲介によって両派が和解する。…
【ペロー】より
…弁護士の資格を得て大臣コルベールの下で働き,重用される。しかし1671年にはアカデミー・フランセーズ会員となり,87年の総会で国王の頌詩《ルイ大王の世紀》を発表した。ルネサンス以来の古典尊重の文芸思潮に反発し,古代と近代の作家を同次元に置いて比較し,前者の絶対視を否定したことによって,新旧論争の口火を切る。…
※「《ルイ大王の世紀》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」