世界大百科事典(旧版)内のルカの会談の言及
【ローマ】より
…前60)を結び,それに基づいて前58年より前50年までガリアに滞在し,そこのケルト人諸族を鎮圧してこれを属州とし,ライン川,イギリス海峡までローマの支配領を拡大した。三頭政治はルカの会談(前56)によって延長されたが,クラッススがパルティア遠征に失敗してカラエで戦死(前53)すると,閥族派に傾いたポンペイウスとカエサルとの間に内戦が勃発した。カエサルはまずスペインのイレルダでポンペイウス軍を破り,次いでポンペイウス自身をギリシアのファルサロスで破った(ファルサロスの戦。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」