ルミャンツェフ,P.A.(読み)るみゃんつぇふ

世界大百科事典(旧版)内のルミャンツェフ,P.A.の言及

【エカチェリナ[2世]】より

…女帝は農業を重視して自由経済協会をつくり(1765),土地測量を行い,商工業については営業の自由を原則とした。外政ではポーランド分割と2度の露土戦争で西方と南方に大きく領土を広げたが,ウクライナと黒海北岸はルミャンツェフP.A.Rumyantsev総督とポチョムキンによってロシア化と開発・植民が進められ,黒海はウシャコフF.F.Ushakov提督などの働きでロシアの内海化した。女帝はシベリア・極東にも注意をはらい,92年にはA.ラクスマンが女帝の親書をたずさえて根室に来航した。…

※「ルミャンツェフ,P.A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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