世界大百科事典(旧版)内のルーウェリン・アープ・グリフィズの言及
【ウェールズ】より
…しかし1170年ころからヘンリー2世はアイルランド征服に着手するため対ウェールズ懐柔策に転じ,南ウェールズの首長リースに率いられた諸首長は,イングランドとの友好関係に入ることになった。 13世紀に入ると,大首長と称されたルーウェリン・アープ・イオーワースがウェールズの大半を勢力下に収め,イングランドのジョン王およびヘンリー3世を悩ませたが,13世紀半ばその庶子グリフィズの子ルーウェリン・アープ・グリフィズが台頭,イングランドの内紛を機にウェールズ全土に覇権を樹立し,はじめて〈プリンス・オブ・ウェールズ〉を称した。彼はしばしばイングランドを脅かしたので,ヘンリー3世をついだエドワード1世は1277年および82年の再度にわたってルーウェリンを討伐,ついに彼を敗死させ,ウェールズ各地の反乱を鎮定して全土を支配下に収めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」