世界大百科事典(旧版)内のルーン石碑の言及
【ゴルム[老王]】より
…息子のハーラル(のち青歯王とよばれた)と共同統治していた935年に,イェリングを訪問したハンブルク・ブレーメン大司教ウンニに対し,キリスト教受容を拒絶したという記録が残っている。妻チューラTyraを記念し建立した彼のルーン石碑がイェリングの教会に現存する。【牧野 正憲】。…
【バイキング美術】より
…8世紀末から11世紀前半にかけてスカンジナビアを基地として海洋および河川を利用して東西および南方に広く進出した北方ゲルマン人,バイキングの残した美術。古くは5世紀ごろにまでさかのぼる。北フランスおよび地中海方面に定着したバイキングの一派,いわゆるノルマン人の美術はやがてロマネスク美術に吸収されてその一流派を形成することとなる。しかしそれ以外のものは,スカンジナビア美術史の一時期を占めるものと考えてよい。…
※「ルーン石碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」