世界大百科事典(旧版)内のレキシントンの戦の言及
【アメリカ独立革命】より
…すなわち,この報に接した本国政府はボストン港の封鎖をはじめとする制裁的な諸法を制定,駐米イギリス軍司令官のT.ゲージ将軍をマサチューセッツの総督に任命,強行措置に出ることを明らかにし,他方植民地側も74年9月フィラデルフィアに各植民地の代表よりなる大陸会議を開き,植民地間の団結した反英抗争を展開することを決議する。その間和解の方途も求められたが,本国,植民地側とも強硬派がしだいに支配的になり,ついに75年4月にはボストン近郊で,イギリス正規軍と植民地民兵とが衝突(コンコード,レキシントンの戦),のちの独立戦争の勃発となり,大陸会議はジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命,各植民地兵と別に全アメリカを通じての正規軍として大陸軍を編成した。
[憲法論争]
植民地側はこの反英抗争をイギリス憲法論により正当化しようとしたが,そこにアメリカ革命の〈保守〉的姿勢がみられるとともに,そこで展開される論点が後の諸邦憲法,合衆国憲法によって制度化されるという点で注目に値する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」