世界大百科事典(旧版)内のレーヨンステープルの言及
【化学繊維】より
…そして32年以降,第1次の新参入に乗り遅れた紡績会社を中心とする多数の会社が続々とレーヨン工業に進出し,37年には企業数は21を数え,レーヨン糸の生産高はついにアメリカを抜いて世界第1位の水準を記録した。
[レーヨンステープル]
一方,日本におけるレーヨンステープル(いわゆるスフ)の本格的生産は,1933年から34年にかけて日東紡績,新興人絹,大日本紡績の3社によって開始され,35年から36年にはレーヨン機械メーカーの試験工場,綿糸紡績会社,地方資産家等多様な資本的背景をもつステープル専門の会社および工場に加え,35年7月から実施されたレーヨンの操短方式との関連で休錘機のステープル生産への転用を図ったレーヨン・メーカーがこれに追随して,38年には29社が同じく世界一の生産水準を実現した。ステープル生産のこのような急増は,初期の混紡・交織用から新興モスリンを経て各種毛織物代替品へという用途の急速な拡大によって支えられていた。…
※「レーヨンステープル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」