世界大百科事典(旧版)内のロターリ王法典の言及
【ゲルマン部族法】より
…7世紀に入ると,フランク法の強い影響下にリブアリア法典が制定される。これらの相互に関連する法典群の締めくくりが,643年発布のランゴバルドのロターリ王法典である。 第2は,多くの類似点をもつアレマン人とバイエルン人の部族法典。…
【ランゴバルド法】より
…ゲルマン部族法の一つで,ランゴバルド人の法。643年成立したロターリ王法典Edictum Rothariは,国王のイニシアティブにより人民との共同作業という形式で行われたランゴバルド人の法記録であるが,その立法技術において他の諸部族法典に抜きんでたものである。サリカ法典とともに古来の慣習法を多く保持するものとして知られるが,個々の表現や規定,それにとりわけ法記録の全体的構造においてローマ法の知識,影響を否定できず,また西ゴートや南ドイツの諸部族法典の影響もみてとれる。…
【ロターリ】より
…カトリックへの改宗に先立つ時期のこの部族の歴代の王の中では,ゲルマン人支配者の伝統とアリウス派キリスト教の信仰を固く守り続けたほとんど最後の人物で,その厳格な支配にまつわる挿話は数多い。イタリア北部に残存したビザンティン帝国領を征服,領有したほか,内政面でも王国の基礎固めに尽力したが,何よりも彼の名を高からしめる結果となったのは,この部族の初の立法事業の成果である〈ロターリ王法典Edictum Rothari〉(643)である。ラテン語で書かれた388ヵ条に及ぶこの法典は,ゲルマン古来の法慣習を色濃くとどめているといわれるが,その明確で体系的な構成からみても,法典編纂事業としてはむしろローマ風の高い水準を示すものといわれる。…
※「ロターリ王法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」