世界大百科事典(旧版)内のロータ・クラブの言及
【ハリントン】より
…オックスフォード大学卒業後,大陸へ留学し,ベネチアで〈共和主義と恋におちた〉といわれる。ピューリタン革命中は中立的な態度をとっていたが,国王が死刑となって共和制が樹立されると活発な著作活動を始め,ロータ・クラブというサークルをつくって共和主義思想の宣伝に努めた。王政復古(1660)後逮捕され失意のうちに死去。…
※「ロータ・クラブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」