世界大百科事典(旧版)内のローマ犂の言及
【農業】より
…
[二圃式から三圃式へ]
一方,西南アジアで開始された二圃式は地中海北部(南ヨーロッパ)に伝播し,二圃式を物的基盤とし,ギリシアに典型的にみられるポリス国家(各家族が奴隷を所有する制度)を創出するが,二圃式のもつ不安定性ゆえに,ローマによって統一されるまで真の安定に達しない。 ローマの支配が北ヨーロッパに及ぶに従って,ローマ農法(二圃式と浅耕用のローマ犂)もまた北ヨーロッパに普及する。それ以前の北ヨーロッパの農業は,最も原始的な焼畑農法であった。…
【麦】より
…古代ローマの農業は,今日残されている多くの農書や出土品によって,具体的に知ることができる。すなわち,コムギと休閑とを交互に繰り返す二圃式であり,犂は牛2頭によって引かせる軽量小型の浅耕用の無輪犂(ローマ犂)であり,それによって十字形に浅耕したから,耕地の形はほぼ正方形であった。夏の乾燥に対して冬は湿潤であったから,所によっては高畝にして排水を図らなければならなかった。…
※「ローマ犂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」