世界大百科事典(旧版)内のわれ思う,ゆえにわれ在りの言及
【コギト】より
…コギトはもともと〈考える〉とか〈意識する〉という意味のラテン語cogitareの一人称単数形にすぎないが,今日ではむしろ〈自己意識〉を含意し,精神や自我の本質を自己意識に見ようとする立場と結びつけて語られる。かつてデカルトが《方法叙説》(1637)の中で,絶対不可疑の真理を発見すべく,まずあらゆるものを疑ってみるという〈方法的懐疑〉から出発し,その結果〈そう考えている私は何ものかでなければならぬ〉として〈われ思う,ゆえにわれ在りJe pense,donc je suis〉の命題に到達し,これを〈哲学の第一原理〉と呼んだことに由来する(コギト・エルゴ・スムcogito,ergo sumはその命題のラテン語訳)。以来,精神や自我とコギトとのかかわりをめぐってさまざまな論議が戦わされて今日に至っている。…
【デカルト】より
…それは疑う私,すなわち〈考える私は在る〉という真理である。〈われ思う,ゆえにわれ在りJe pense,donc je suis;Cogito,ergo sum〉。ついで精神としての私の存在から神の存在が必然的に導き出される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」