世界大百科事典(旧版)内のワーザ家の言及
【ポーランド】より
…ところがジグムントが目ざしたのは,絶対主義の導入と親ハプスブルク政策であった。しかもワーザ家は元来がスウェーデンの王家(スウェーデンでの呼び名はバーサ家Vasa)であり,父ヨハン3世(1537‐92)が死ぬと,ジグムントはスウェーデン王位も継ぐことになった。しかし熱心なカトリック教徒であったジグムントは,ルター派のスウェーデン貴族に嫌われ,叔父のカール9世(1550‐1611)によってスウェーデン王位を追われてしまった(1599)。…
※「ワーザ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」