世界大百科事典(旧版)内のワーザ朝の言及
【ポーランド】より
…しかし86年にステファンが死去し,ポーランドは再び空位期を経験することになった。
[ワーザ朝時代]
(1)絶対主義の試み 次に国王に選ばれたのは,ジグムント・アウグストのもう一人の妹カタジナKatarzynaの子ジグムント3世ワーザZygmunt III Waza(1566‐1632)であった。ワーザ朝の始まりである。…
【ヤギエウォ朝】より
…こののち選挙王制下でジグムント2世の甥がジグムント3世として,またその子らがそれぞれブワジスワフ4世,ヤン2世カジミエシュJan II Kazimierzとしてポーランド王に選ばれている。これらの諸王は確かにヤギエウォ家の血を引くが,ワーザ朝Wazaの名で呼ばれることが多い。これはジグムント3世の父,スウェーデン王ヨハン3世の出身王家(バーサ家Vasa)に由来している。…
※「ワーザ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」