イシン第2王朝(読み)いしんだいにおうちょう

世界大百科事典(旧版)内のイシン第2王朝の言及

【バビロニア】より

…カッシート時代のクドゥル碑文は個人または神(殿)に対する王からの耕地の贈与または過去に行われた耕地の贈与の確認を内容としたもので,後には税免除の特権条項も付されていた。
[イシン第2王朝時代とその後の混乱期]
 カッシート朝を滅ぼしたエラム人は,そのままバビロニアにとどまらなかったため,当時ニップールと並んで重要な都市であったイシンの知事(?)がバビロンの王となり新王朝(イシン第2王朝。前1157‐前1026)を開いた。…

※「イシン第2王朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む