世界大百科事典(旧版)内のイチ・オウラーンの言及
【宮廷】より
…オスマン朝では,宮廷はペルシア語からの借用語で〈サライ〉と呼ばれ,君主の公務の場としての外廷と,君主の私的生活の場としての内廷と,宮廷の女性の生活の場としてのハレム(後宮)とに分かれていた。このうち内廷には,多数の小姓(イチ・オウラーン)が勤務し,小姓は,少なくとも16世紀末ごろまでは,大多数が戦争捕虜および帝国領内のキリスト教徒臣民の子弟からデウシルメにより徴収された少年からなり,奴隷身分に属するグラームであった。内廷は君主の生活の場であると同時に,大多数がグラームからなる小姓の教育訓練機関としての性格ももっていた。…
【デウシルメ】より
…首都に到着すると,徴用男童はイスラムに強制改宗のうえ,それぞれの適性に応じて知的ないし身体的訓練を受けて各種の役務に使用された。たとえば,眉目秀麗・容姿端整で知的活動に適すると判断された者は,宮廷用務に服させるために選抜されて他の者から分離され,イチ・オウラーンiç oğlan(近侍童の意)と呼ばれた。イチ・オウラーンには,将来宮廷吏僚の地位が約束されていた。…
※「イチ・オウラーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」