ウィレム[3世](読み)うぃれむ

世界大百科事典(旧版)内のウィレム[3世]の言及

【ウィリアム[3世]】より

…在位1689‐1702年。ウィレム3世とも呼ばれる。オランダのオラニエ=ナッサウ家に総督ウィレム2世の子として生まれる。…

【オラニエ=ナッサウ家】より

…16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。次男のウィレム(ウィルヘルム)はライン右岸領すなわちナッサウ家伝来の領土を得た。ウィレムの子ウィレム1世(1533‐84)は父の領土を相続し,1544年伯父ヘンドリック3世の子ルネが没すると,ナッサウ家に伝わる全領土を継承してオラニエ=ナッサウ公家の創設者となった。…

【オランダ】より

…〈海乞食〉(乞食団)の蜂起による反乱側のホラント,ゼーラント両州占拠(1572)を経て,ネーデルラント北部の7州は,1579年ユトレヒト同盟を結成し,81年スペイン人に対する独立を宣言した。反乱の指導者オラニエ公ウィレム1世が84年暗殺されると,オルデンバルネフェルトが共和国の政治を指導し,オラニエ公の遺子マウリッツを指揮官にスペイン軍と戦い,1609年にはスペインと12年間の休戦条約を結んで実質的な独立を達成した。オランダ共和国(正式にはネーデルラント連邦共和国)は独立の達成とともに,ヨーロッパで最も富裕な商業国家になった。…

【オランダ共和国】より

… ネーデルラント住民はフェリペがスペイン流の異端審問所をこの地方に導入することを恐れ,伝統的に享受してきた自治の特権が侵犯されることを警戒した。ことにこの地方で大勢力を張ってきたオラニエ公ウィレム1世,エフモント公ら大貴族は,統治の中枢から排除されることを恐れ,政庁に公然と反抗を開始した。66年,数百名の中小貴族がブリュッセルに集まって盟約を結び,執政パルマ公妃マルガレータに面会して新教禁止の緩和を訴え,乞食団を結成した。…

※「ウィレム[3世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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