ウィーン・ゼツェッシオン(読み)うぃーんぜつぇっしおん

世界大百科事典(旧版)内のウィーン・ゼツェッシオンの言及

【ゼツェッシオン】より

… 最初のものは1892年に設立されたミュンヘン・ゼツェッシオンで,その中心となったのは象徴主義の画家F.vonシュトゥックおよび自然主義の画家トリューブナーWilhelm Trübner(1851‐1917)であった。次いで97年にウィーン・ゼツェッシオンがG.クリムトを中心として創設されたが,これはJ.M.オルブリヒJ.ホフマンら建築家,工芸家をも多く含み,オーストリアにおけるユーゲントシュティール(アール・ヌーボー)の中心となった。ベルリン・ゼツェッシオンは99年に,ドイツ印象派の代表者M.リーバーマンを中心として設立され,ドイツ最大の美術組織へと育っていった。…

※「ウィーン・ゼツェッシオン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む