世界大百科事典(旧版)内のウクライナ人コサックの言及
【ウクライナ】より
…1569年のルブリン連合によりリトアニアはポーランドと合同しレーチ・ポスポリタ(共和国)が形成され,ウクライナはポーランド支配下に入ることとなった。すでに15世紀からステップ地帯にはポーランド,リトアニアからの逃亡農民を中心にウクライナ人コサックの集団が形成され,先住コサックであるタタール人コサックと競合かつタタール化しつつしだいに軍事集団として成長し,クリム・ハーン国最大の奴隷市場のあったカーファ(現,フェオドシア)をはじめとする都市攻撃を敢行していた。1550年ころリトアニア貴族出身のD.I.ビシネベツキー(?‐1564)はドニエプル川の中洲のホルティツァに要塞を建設してコサックの本営(シーチ)とした。…
※「ウクライナ人コサック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」