ウラル・クズネツク・コンビナート(読み)うらるくずねつくこんびなーと

世界大百科事典(旧版)内のウラル・クズネツク・コンビナートの言及

【クズネツク炭田】より

…97年ころからはシベリア鉄道用炭採掘のために多くの企業が成立し,カルテル化がすすんだ。ソビエト政権下では1932年にウラル・クズネツク・コンビナートが完成し,一躍シベリア最大の重工業地帯となった。90年には七つの石炭生産公団で88の炭坑(露天掘り20,坑内掘り68)が1億4000万tの出炭をしたが,94年の出炭量は9370万tと落ち込んでいる。…

【コンビナート】より

…コンビナートは,ソ連がロシア革命後の工業振興を目的にトラストとともに利用したことに始まる。1928年から実施した第1次五ヵ年計画で取り上げられ,ウラルの鉄鋼石とクズネッツの石炭とを専用貨車で結合したウラル・クズネツク・コンビナートがつくられた。その後,工業地帯の開発に際し,たびたびコンビナートが導入されるようになり,コンビナートはトラストと並んでソ連の工業建設の基本方式となった。…

※「ウラル・クズネツク・コンビナート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」